移植後の社会復帰について患者さんからいただきました。

なお、ご本人は公表しても構わないとのことだったのですが、僕の一存で固有名詞などをイニシャルや記号にしました。よろしくです、、、



私の場合ですが、参考になりましたら。


2004年8月 RICBT(臍帯血ミニ移植)
2004年10月 day60で退院(M先生のお蔭様です)


一応、オットと名のつく生物と同居しているので、退院後は家事をする主婦になりました。
それでも最初、きゅうり一本を切る時間さえ立っていることができず、キッチンに椅子をもってきて、それに座りながら料理してました。そういえば、味覚障害も若干あったので、味付けは辛かったり、甘かったりしたようです。


少し生活が落ち着いて、将来のことを考えはじめました。
いつかは臨床の場にかえりたい、でも感染症GVHD、考えたくないけど後期拒絶などを思うと、ずっと先だと思いました。そこで、とりあえず大学院に行って、4年たち、博士をとって(いずれとりたいと思ってましたから)、その時元気で生きていたら、その時点で次を考えようと思って大学院に進学。


2005年1月 院試
2005年3月 T病院を正式に退職
2005年4月 ●●大学 解剖学講座(現、人体構造学講座)に進学。


実際にはぜーんぜん通ってません。もっぱら教授のまわしてくるデスクワーク(教科書の翻訳など)を自宅でせっせと励む日々。このころ英会話教室に通いました。


2005年8月 移植後一周年。
このころ、日常生活には困らない体力は回復。でも波があって、調子のよい日と悪い日があるので、毎日決まった時間に働くなんてとんでもない、と思ってました。


2005年10月 ついに社会復帰!
専門学校に解剖学を教えに行く講師になりました。90分を一日に2本教えます。
でも、まだ何があるかわからないことと、何かあった時責任がとれないので、
自分の講座はもちませんでした。臨時講師で月に一回程度の出勤。
久しぶりに白衣にアイロンを当てていると、なんだか涙がこぼれたのを覚えています。
90分立ちっぱなしだと、翌日は筋肉痛でした。


2006年4月 正式に専門学校の講座を持つようになりました。一日に90分を3本。臨床内科学を教えています。週に一日です。私は病気のこと、今後のこと等を全て学校側に話をしています。もし長期に入院になったら、臨時講師をたてる準備もして職につきました。一応、給料は、「オットとさようならをしても十分暮らしていける程度の額」です。

私にはオットがいたので、生活に困らなかったこと、院生という身分があるので肩書きがいらないこと、何より、医師免許という資格があったことが、いい条件で働ける理由であったと思っています。
また、家にいたとしても、世間からみると「主婦」なので、気持ちの面ではラッキーでした。男性が自宅療養するほうが、ずっとずっと大変だと思います(精神面でも、経済面でも)。


印象としては、移植後一年半ぐらいたつと、復職する体力と自信ができてくるように思います。きっと無理をすればもっと早期から働けるのでしょうけど、余裕を持ってという意味で。傷病手当金の支給が、一年半というのも、なんだか納得しました。
社会復帰にも大きくわけて2通りあると思います。


① 元々の職場に戻る
② 新たな環境で再出発。


① については、Yさんのように地位や能力があった人や、大手の会社などで病気に対する理解の深いところは、比較的戻りやすいのでしょうか?移植は大変な治療ですけど、見た目は元気に見えるので、実際の体調の波や体力の低下が周りの人々にわかりにくいので、苦労も多いと思います。


② については、まず職探しが大変だと思います。病気のことを隠すのか、正直に話すのか、そこから始まるのだと思います。また、今までと環境が変わる分、心理的に受け入れられないという患者さんもいますね。「こんなはずじゃなかった」みたいな。私の場合は臨床から基礎の講座に移り、アルバイトは専門学校の講師なんて大きく変わりましたけど、「波乱万丈人生よ」なんていいながら、結構これはこれで楽しんでおります。


移植後、病気になる前と全て同じというわけにはいきません。そこにもどかしさを感じる方も多いでしょうし、将来の不安を抱える方も多いと思います。私にも不安が無いかと言われれば、それはNoだと思います。でも、病気で失ったものの数を嘆くよりも、二つ目の命や、支えてくださった主治医や家族の愛や、現在あるシアワセなど、病気で得たものの数を数えて生きるほうが、毎日楽しく暮らせます←私はいい加減な人間なので。笑。
私は移植で、臨床医としての職は失いましたけど、退院して家で暮らすこの一年半が、今まで生きてきたなかで、一番シアワセな時間だと感じています。


今の自分を病気になる前と比較しないで、出来ること、やれることを探すことが、上手に社会復帰するコツなのかもしれませんね。


自分自身も試行錯誤の連続でした。今でも苦しんでおられる患者さんに、少しでもお役にたてればと思っております。